あれから70年

北九州市小倉北図書館に行った。
40年ぶりの図書館だ・・

思ったより部屋が小さくて本の量の少ないのに驚いた。
これではまるで、町の貸本屋だ!!

建物は立派だから、色々な部屋に別れているのだろう??
別の部屋を探したが、見当たらない・・・
専門部門があるのかなあ??
昔はこんなのじゃなかったように思う・・・

結局は目的は達せずに、また来ることにして・・・。

図書館は戦時中、小倉陸軍造兵廠があった所にある。
若い頃勤めていた本部事務所の跡が図書館になっている。
懐かしく当時を偲びながらすっかり変わった景色を眺めて図書館を後にした。

この道を毎晩走って到津から往復した事・・・
朝は7時までに木町門を通り、本部事務所のある室町まで歩く。5時帰宅。

夜中に「B29襲来」所謂、・・空襲警報のサイレン・・・が鳴り響く。
飛び起きて、事務所まで走る。

この道だったなあ!
・・・艦載機に出会ったのは!!・・・
低空しないと、機関銃が届かないから飛行機が頭スレスレに飛ぶのである・・・
慌てて近くの大木の影に隠れたのは・・

「大きなメガネをかけたアメリカ兵と目が合った」と何時か話した事があるが
「お婆ちゃん、うそだあ!飛行機の操縦士と目が合った、だなんて・・・」

笑われたことがあったが・・・。
あれから70年もたったのだよねえ・・・



この記事へのコメント

茨城県日立市の一爺じ
2015年02月18日 17:54
お久し振りです。
小倉陸軍造兵廠でも、艦載機による操縦士と目が会う様な低空攻撃があったのですか。原爆を積んだB29はもっと上空からだった様ですが。
造兵廠に勤めていた亡き父とは、そんな話もしたことはありませんでしたが・・・。
また戦前の世に戻らなければ良いのですが。
お坊ちゃま宰相のやることが、心配です。
おと
2015年02月20日 18:02
お元気でしたか?
B29は日本の高射砲が届かない位、高い所から爆弾を落とすだけですが、艦載機に高射砲が当たった時などは、頭の上で火の玉がグルグル回るのですよ。何処に落ちるか判らないでしょ、逃げることもできないし・・・。
お父様が造兵廠の何処にお勤めだったのかが知りたいですね。
工場などは、B29の直撃弾で、防空壕にいた鹿児島の女子学徒が200人犠牲になったと聞きました。
まだまだ知らされていない事が沢山あると思いますよ。

あの戦争で日本は「世界平和」をうたっていましたが、「世界平和」は夢の又夢なのでしょうかねえ・・・。おと
夏子
2015年02月21日 08:48
私の知らないことでしたね。
私の記憶にあるのは
御近所の主婦たちがわが家のラジオを囲んで
天皇陛下のお声を聞いている姿です。
二度と戦争をしない国、これを貫けないものかしらね。
2015年02月22日 13:37
終戦の勅諭ですね。
私は事務所で聞いたのですが、「各員一層奮励努力せよ」と仰っているのだとばっかり・・・
「後で戦争に負けたらしい」と聞かされても、信じられませんでしたよ。おと

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